新・桂庵雑記

Jazz演奏やロードバイク、山や海など、桂庵(けいあん)が趣味に関することを書き散らしてます

相互信頼関係が無い相手とスワップ取引はできません

2018年に入って、韓国で経済を知る人々の間では日本との通貨スワップ協定を復活させたいとの思いが強まり、韓国側から発信される報道の所々で、それが披瀝されています。韓国はいくつかの国と通貨スワップ協定を締結していますが、ウォンと交換でいわゆるハードカレンシーを入手できる協定は、実質的に見ればほぼ無いと言ってもいいでしょう。アメリカとの協定は望みが薄い状況なので、円経由で米ドルにアクセスできる日本との通貨スワップを、二番目かつ現実味の感じられる候補と考えているように見えます。

 

僕は政治とは別の理由から、韓国と通貨スワップ協定を結ぶことに反対します。韓国を嫌いだからとか、人種的な話とか、政治的信条とか、一切そんな理由ではありません。

 

スワップ取引というのは、契約当事者の双方による義務の履行行為です。つまり、双方が相手方に対して、義務の履行を期待できることが大前提。その信頼が無ければ、スワップ取引を行なってはいけない。これは、デリバティブ取引に関わる人の全てが共有する価値観。デリバティブ取引はゼロサムが基本なので、取引相手が約束による義務を履行しないということは、イコール自分は損だけ可能性ありで益になる可能性が無いということ。そんな状況であることが、多くの人の目に明らかな状況で、会社がそんな相手とスワップ契約を締結したら、少なくとも善良なる管理者としての注意義務を怠ったものとして、役員は法的責任を問われてもおかしくない。

 

さて、韓国という国がスワップ取引の相手方として必要な資質を有しているかというと、少なくとも日本という国にとって、はなはだ心許ないと言わざるを得ない。個人としての韓国人の資質ではなく、いざ国としての行為判断を行うにあたり、あの国が日本との間で国際法や契約を遵守すると言い難いことは、これまでの歴史的事象が表している通り。早くも明治時代、福沢諭吉翁は脱亜論でそのことを指摘していました。

 

約束のうち都合の悪い部分は無視すると分かっている相手と、経済行為としての協定を締結することは、実質的に経済的価値の贈与です。ODAでもあるまいに、先進国たる韓国に、無償贈与という非先進国向けの行為を行ったら、いずれ先進国たる韓国を物乞い国家扱いした失礼な国だと、また怨まれそうです。ちょっとだけ政治的領域に脱線しましたが、つまり韓国との通貨スワップ協定という取引は、日本の経済的利益を一方的に損なう行為であり、そんな決断を下した政治家は、背任を問われても不思議ではありません。

 

外貨準備の課題は、先進国の一員たる韓国が、尊厳をかけて自身で何とかするべきものであり、それを失敗した場合の備えは、日本が自身で考えれば良いこと。国際法の観点から決着している戦後賠償問題などで、理に則さない考えにより日本の経済的利益を侵害しようとしている、あきらかに価値観の異なる相手に、政治家が背任のリスクを負ってまで経済的利益を供与する必要などありません。