新・桂庵雑記

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Selmer USA社のオメガ(Model 162/Model 164)について語るよ

日本でサックス奏者が「セルマー」と聞くと、サックスメーカーのランキングがあったならば毎年のように1位を争うような位置にいる高級サックスメーカーだというイメージを思い起こすのではないかと思う。実際問題として、セルマーのサックスは高価だ。メーカー別にアルトのフラッグシップモデル(銀製は除く)を比較してみましょう。

H.Selmer Supreme 825,000円
H.Selmer SERIE3 617,320円
ビュッフェ・クランポン SENZO 668,800円
J.KEILWERTH SX90R/BN 616,000円
YAMAHA YAS-875 499,950円
ヤナギサワ A-WO20 448,800円

上記はいずれも消費税込み価格で、2021年10月24日に「サックス専門店 WIND BROS.」のHPで掲載されていたものです。やはりセルマー、高いよ(笑)

 

ところが、ネットで「セルマー」を検索すると、そのイメージと懸け離れて安くセルマー製のサックスが売られている場面に遭遇することがあります。だが遭遇しても、慌てて飛びつかない方が良い。安いのには理由がある。

理由は概ね2つ。一つは最近出回っているニセモノ。セルマーヤマハ、ヤナギサワと刻印したニセモノが、ヤフオク、メルカリやECサイトに出回っています。僕は値段だけ見てパスしてしまうので、いちいち中身は見ていないが、本物を知っている人が見れば一目瞭然ということが多いようですね。
そしてもう一つは、別のセルマー社製であるという場合。今回の記事は、この「別のセルマー社」が作った最後のアメリカ製プロフェッショナルサックスについてです。

 

サックスのことをある程度ご存じの方ならば、世の中に"Selmer"と名乗っている会社が二つあることはご存じでしょう。一つは、泣く子も黙るフランスのH.Selmer社。ジャズ界では超有名なマーク6という名機を生み出し、今でも新品でアルトを買うと80万円以上が飛んでしまうという、サックス吹きの多くが憧れる高級サックスの製造会社。そしてもう一つが、アメリカのSelmer USA社。

同じくSelmerの名を冠しているものの、この二つは全く別の会社です。H.Selmer社はフランスに本社と製造拠点を置く楽器メーカー。これに対してSelmer USAは、元来はH.Selmer製のクラリネットサキソフォンアメリカで販売するために、H.Selmer社の創業者兄弟のうち弟の方がアメリカで設立した会社。創業後しばらくして、従業員だったBandy氏へ株式を譲渡して弟は帰国し、H.Selmer社とは資本関係が無くなりましたが、引き続きアメリカで販売代理店としてH.Selmer社製のサックスを販売していました。ただ、それが高価だったため、H.Selmer社製のサックスも販売する一方 、Selmer USA社は低価格の管楽器を委託製造や自社製造で生産して、Selmer USA社製として販売しているのです。つまり、模造品を除けばセルマー製と称する安いサックスは、ほぼSelmer USA社製。

ウェイン・ショーターなどアメリカの著名なサックス奏者が、最初はSelmer USA社製のサックスでその経歴を始めたようです。ヤマハで言えば現在のY*S-280やY*S-380、Y*S-480といったスチューデントモデルの位置づけなので、高い評価を受けることは殆どありません。友人がSelmer USA製のサックスを下取りに出そうとして、値が付かなかったとも聞きます。

 

Selmer USAはその後、幾つもの楽器メーカーを買収し、現在ではConn-Selmer社という社名になっています。このConn-Selmer社は度重なる買収により、有名な管楽器のブランドを数多く引き継いでいて、トランペットで有名なVincent BachやC.G.Conn、King、Benge、Holton、Martinは、すべて現在、Conn-Selmer社の保有するブランド。ConnやKing、Martinはビンテージなアメリカンサックスの有名どころでもありますが、僕が好きなサックス メーカーのBuescher社も、1963年に買収され、後に吸収合併されてSelmer USA社製サックスの生産拠点となりました。

ただし、1980年代に入るとサックスの生産拠点として、台湾が台頭してきたことから、Selmer USA社も生産拠点を台湾へと移し、アメリカ国内で完結するサックス製造は終焉を迎えました。今では、Cannonballのように台湾製等の部品を組み立てるか、台湾製OEMで販売するメーカしか残っていません。これはアメリカだけの現象ではなく、ヤマハや一部の欧州メーカー(カイルベルス等)も一部の生産拠点をアジアに移しています。利益率の高い高級機種は自国で生産し、安価なサックスはアジアで生産するという分業体制に移行したのは、サックスも工業製品である以上、抗いがたい時代の流れなのでしょう。

蛇足ですが、そんな分業化の流れのなかでも、ヤナギサワは1950年代から一貫して板橋区の工場での生産を続けています。1958年に入社した職人さんが今も現役で働いていらっしゃって、モノ作りを愛する姿勢には敬服させられます。

 

さて、Selmer USA社に話を戻します。同社製のサックスは高い評価を受けることが殆ど無いと書きましたが、その例外が僅かにあります。Model 162(アルト)とModel 164(テナー)、及びその後継機種として製造された極めて初期のAS-100/TS-100がその例外です。AS-100/TS-100は、同じ型番でありながら年代が進むにつれコストダウンで構造が簡略化されてゆき、スチューデントモデルにクラス替えしていることから、本稿では評価を棚上げし、162と164のみをSelmer USA社が製造した唯一のプロフェッショナルモデルであるとして解説を進めます。

この二つの機種は、事情通の間ではオメガと呼ばれているのですが、楽器にはOmegaとかΩといった刻印は一切ありません。ここで事情をややこしくするのが、同社製のサックスで楽器本体やケースにOmegaと刻印された機種の存在。先に書いたとおり、プロフェッショナルモデルはModel 162とModel 164だけなので、Omegaと刻印されているものはスチューデントモデルです。スチューデントモデルのOmegaと区別するために、事情通の中にはModel 162とModel 164をわざわざ「オリジナルオメガ」と呼ぶ方もいるとか。本稿では混同を避けるために、以後はModel 162とModel 164を総称してオメガ(162/164)と表記します。

 

このオメガ(162/164)を語るにあたっては、先に「アメセル」と称されるサックスについて触れねばなりません。なぜならオメガ(162/164)には、「最後のアメセル」といった都市伝説が残っているからです。

ジャズの世界だと多くのサックス奏者が珍重する「アメセル」というのは、H.Selmer社製の部品をフランスからアメリカに輸入し、Selmer USA社が組み立てて販売したものです。対比語みたいなものになりますが、アメセルではないH.Selmer社製のサックスのことを「フラセル」と呼んで、アメセルよりは価値が低いと見る人も多い。実際問題、中古サックス市場ではアメセルの方が明らかに高いですし。

なぜ完成品で輸入せず、アメリカで組み立てたのかの理由ですが、関税の高さによるといわれています。只の金属製品ということでパーツを輸入し、アメリカ国内で組み立ててから出荷する方が、完成品を輸入するより安かったようですね。だからこそ、アメリカのジャズサックス奏者の多くは、高いフラセルではなく安いアメセルを買っていた。

 

では、なぜアメセルの方がフラセルより価値が高いと見られるかというと、組み立てや最終仕上げの方法の相違により、アメセルの方が反応と響きが良いというのが有力な説。例えばラッカーをフラセルは焼き付けていますが、アメセルは薄く吹き付けただけ。U字管(一番管)と二番管、U字管とベルを接続している部分が、フラセルだと接着剤で、アメセルだと半田付けという相違。ラッカーはリードが発した振動を減衰させるので、それが薄い方が響きは良いでしょう。管の接合部も、接着剤よりは半田の方が振動を伝えるには向いているのでしょう。それ以外にも細かな違いがあるようですが、僕自身あまり関心が無い事なので、詳細を調べたことはありません。そもそも僕は、アメセルを試奏したことはあれど所有していないですし(笑)

実はSelmer USA社って、サックスの将来についてかなり真剣に考えていた会社なので、よりジャズ向けにするために、いろいろと組み立て工程で工夫をしていたのかもしれません。1960年代に入ってアメリカの音楽シーンでロックンロールやソウルミュージックが大きく台頭し、電気楽器が演奏の主役になりつつあった時期、Selmer USA社は電気楽器と渡り合うサックスとして、電化サックスを市販までこぎつけたなんていう実績もあります。結果として電化サックスは世間に受け入れられなかったものの、サックス人口の維持拡大を図るアプローチとしては面白い。こんな試みを行うような会社だから、アメセルの組み立て等にあたっても、よりミュージシャンのニーズに沿った楽器へとの努力が払われていて、それが現在の高評価へ繋がっているのではないかというのは僕の推測。

【参考】
H&A Selmerエフェクター一体型サックス Varitone(1965年)

秘蔵楽器“蔵出し”徹底解説 その1 Varitone | TC楽器 中古楽器販売と買取

 

その他に、厳しいアメリカのジャズ界で一流ミュージシャンがこぞってアメセルを使っていたからという説もありますが、アメセル全盛期のアメリカで活躍したジャズサックス奏者のうち、デクスター・ゴードンはフラセルを使用していたので、僕はこの説に説得力を感じません。


さて、オメガ(162/164)と関係しないように見える話が続きましたが、これまで書かなかった重要なポイントがあります。それは、アメセルの組み立て工程を担っていたのが旧Buescher社の工場だということ。

アメリカで組み立てられたH.Selmer社製サックス(つまりアメセル)の大半は、以下の3機種です。

  • Super Balanced Action(コルトレーンが愛用したことで有名 1948~1953)
  • Mark 6(ジャズ界で最も人気のアメセル 1954~1974)
  • Mark 7(Mark 6ほどの人気にはならなかった 1975~1980)

Mark 7 の後継機種がSuper Action 80(SA80)、今ではシリーズ1とも呼称されているモデルで、SA80のごく初期でアメリカでの組み立ては終了しました。日本に輸入された最後のアメセル(SA80)を買ったのは渡辺貞夫さんだったという話も聞きます。これがアメセルの終焉。

で、そこから少しして初のプロフェッショナルモデルであるオメガ(162/164)をSelmer USA社は世に出した。僕の推測ですが、おそらくSelmer USA社はSA80がアメリカのジャズマーケットにはあまり向いていないと考えたのでしょう。そこで旧Buescher社から引き継いだリソースを投入して、初のプロフェッショナル向けサックスとして開発したのがModel 162(アルト)であり、Model 164(テナー)であると。H.Selmer社の製品ではないという時点で、オメガ(162/164)は明らかにアメセルじゃありません。ですがかつてアメセルを組み立てていたのと同じ工場からオメガ(162/164)は出荷されています。

 

旧Buescher社から引き継いだリソースには、アメセルの組み立て工程もありましたから、オメガ(162/164)のラッカーや彫刻は、パッと見にはアメセルとよく似ています。そんなところもあって、オメガ(162/164)を「最後のアメセル」だという都市伝説が生まれたのかもしれません。ただし、二番管とベルを繋ぐ金具は三本足でありながら、テーブルキーはMark 7より明らかに小さいし、ベルの彫刻も独特で、見分けることは容易。よく見ると、U字管の補強金具は、Buescher400と同じような形状(一般的なV字型ではなくW字型)をしています。

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オメガ162/164のベル彫刻の特徴

Selmer USA社が意気込んでマーケットに送り込んだオメガ(162/164)ですが、商業的には成功していません。1982年から5年くらいの生産期間で、アルト1,400本程度、テナー600本程度と、さほど売れずに生産を終了しています。H.Selmer製で有名なMark6がアルト、ソプラノ、テナー 、バリトンを全部合わせると17万本以上も生産されたのと比較すると、如何に珍品(笑)であるかを実感していただけるかと。

 

ちなみに僕は何年かかけてBuescher400 Top Hat & Cane(1950年代製)を入手していて、それが結構気に入ったことから、最後のBuescherとしてのオメガ(162/164)を何年も探していました。ようやく今年、164(テナー)を入手することができ、最近はそれを吹いています。164を吹いた感じは、H.Selmerのサックスと操作性は同じなのだけど、それでも明らかに吹奏感は違う。さしずめ吹奏感はBuescher 400で、操作性はMark 6といったところ。

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普段はアメセルを吹いている友人に試奏してもらった時、アメセルとは明らかに違うという感想でしたし、僕もBuescherの系統の楽器と共通しているように強く感じます。オーバーホールをお願いした管楽器店の店長さんも、ジャズに特化した性格がはっきりしているとおっしゃってました。ジャズマーケットに指向したアメリカ製プロフェッショナルサックスの、おそらくは最後の機種です。

 

ちなみに他のメーカーから同じ時期に発売された楽器を見ると、ヤマハはYAS-62(初代)で、ヤナギサワだと880。ヤマハの875やヤナギサワの900シリーズは、もう少し後の登場。だから、オメガ(162/164)をビンテージと見るか否かについては、人によって相当意見が分かれそうですね。

最近、ヤマハのYTS-82zとModel164を吹き比べてみたのですが、ジャズホーンっぽさから言うと僕は音色がダークなModel164に軍配を上げます。だからといって無条件に82zよりModel164が優れているかというと、そこまでの話ではない。Model164は良くも悪くもアメリカ製なので、必要以上に凝った造りにしているところもあれば、結構造りが雑なところもあります。このため、どちらを取るかは個人の好みに左右されるところが大きいでしょう。

サックスの修理工房でも滅多に見ない機種であり、万人向けでは無い機種でもありますが、僕は結構気に入って使っています。

 

◆◆参考にしたWeb情報◆◆

Atelier Ohtake Saxophone Selmer USA 162/164 (OMEGA) Saxophone

セルマー・オメガと呼ばれるモデルについて。その① セルマーUSA社のサックスは全てアメセルなのか? | サックス買取ラボふくおか

Buescherの表の補足「マニアックなBuescher」 | TASAKISAXのブログ